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生きるとは


まず、確認しておきたいのは。
学生時代にモラトリアムとして解決した問題に
いまさら云々しようとするのは
そこに立ち止まっていてはいけないという危機感と
社会に出て実感しているものとはギャップがあるため。

乗り越えるためには古典的方法として
止揚してみる。
生を現象として(まだ死を経験していない以上、
知識や想像でしかないが)みてみれば、
生き物であれば生まれた後は必ず死ぬということ。
そしてその限りない時間のなかで
何をしたとしても知覚する主体はいずれなくなり、
記憶や記録もいずれくる人類滅亡、宇宙の終焉において
無に帰すること。
今、自分が生きていることの帰結を
何らかの形には絶対に残せない。

一見絶望にも見えるが、この知識は
その生を本人にとって悲観的なものにする根拠とはならない。
逆に「無くなる生なら何をしてもよい」と考えることもできる。
より正しくは、したいと思うことをすべきであるし、
欲求や意識の構造からしたいと意識にのぼらないことを行うのは
人間には不可能。

どうせ死ぬんだから、という言説は
どう生きたいのかを示すことはあっても
それをもってすべての生きるを説明できはしない

また今度。
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